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東京地方裁判所 平成6年(ワ)22616号 判決 1996年2月07日

原告

齊藤しも子

ほか二名

被告

長橋茂

ほか一名

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一原告らの請求

一  被告長橋茂(以下「被告長橋」という。)は、原告齋藤しも子(以下「原告しも子」という。)に対し、金七六一九万一三九四円、同齋藤善貴(以下「原告善貴」という。)及び同齋藤美祐(以下「原告美祐」という。)に対し、それぞれ金三〇八一万六一〇〇円及びこれらに対する平成四年八月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告興亜火災海上保険株式会社(以下「被告興亜火災」という。)は、原告らの被告長橋茂に対する本判決が確定したときは、原告しも子に対し、金七六一九万一三九四円、同善貴及び同美祐に対し、それぞれ金三〇八一万六一〇〇円及びこれらに対する平成四年八月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一  本件事故の発生(当事者間に争いがない)

1  事故日時 平成四年八月一二日午前零時一九分ころ

2  事故現場 秋田県由利郡象潟町字中谷地三四番地二四先路上

3  被告車 自家用普通貨物自動車(山形一一せ四七五四)

所有者 被告長橋

運転者 被告長橋

4  事故態様 被告長橋が、被告車を運転して本件道路を直進中、右方から左方に本件道路を横断してきた訴外亡齋藤基(以下「訴外基」という。)と衝突し、訴外基は外傷性頭蓋内出血の傷害を負い、同日、訴外基は、右傷害により死亡した。

二  保険契約の締結(当事者間に争いがない)

被告興亜火災は、平成三年一〇月一日、被告長橋との間に、保険期間を平成三年一〇月一日から平成四年一〇月一日まで、被保険車を被告車、賠償額を対人無制限とする内容の保険契約を締結した。

三  相続(甲八の一、原告しも子本人尋問の結果)

原告しも子は、訴外基の妻、同善貴及び同美祐は、同人の子であり、同人の相続人であるから、原告しも子は二分の一、同善貴及び同美祐は各四分の一ずつ、訴外基の損害賠償請求権を相続した。

四  争点

1  原告らの主張

被告長橋は、被告車の保有者であるから、自動車損害賠償保障法三条により損害を賠償する責任を負う。

本件事故は、被告長橋が被告車を運転して本件事故現場に至つたが、本件事故現場の信号機が赤色を表示していたにもかかわらず、これを見落とすなどして直進したため、横断者用信号機の青色表示にしたがつて本件道路を横断中の訴外基に被告車を衝突させて発生したものであり、被告長橋の一方的な過失によつて発生したものであるから、過失相殺されるべきではない。

2  被告らの主張

本件事故は、被告長橋が被告車を運転し、本件事故現場の信号機の青色表示にしたがつて直進したところ、横断者用信号機が赤色を表示していたにもかかわらず、訴外基がこれを無視して本件道路を横断してきた結果、被告車と訴外基が衝突して発生したものであり、被告長橋に過失はないので、被告長橋は免責され、したがつて、被告興亜火災も債務を負わない。

仮に、被告長橋に過失が認められ、被告らが債務を負うとしても、右のような本件事故の態様に鑑みて、少なくとも八割の過失相殺が認められるべきである。

3  争点

以上のように、本件では、主として本件事故発生時の信号機の表示が争点であるところ、本件においては、訴外基が、青信号にしたがつて横断歩道上を横断していて本件事故に遭つたと認めるに足りる積極的な証拠はない。他方、後記のとおり、被告長橋は、被告長橋が青信号で交差点に進入したところ、訴外基が赤信号で本件道路を横断して本件事故が発生したと供述しているため、右被告長橋供述が信用できるとすると、被告長橋が青信号で交差点に進入したところ、訴外基が赤信号で本件道路を横断して本件事故が発生したと認めることができる。

よつて、被告長橋の供述の信用性が争点となつている。

第三争点に対する判断

一  本件事故の際の信号機の表示について

1  証拠上優に認定できる事実

甲二の一ないし一八、三の一ないし一二、原告齋藤しも子及び被告長橋各本人尋問の結果によれば、以下の事実が認められる。

(一) 本件事故現場の状況等

被告長橋が進行してきた道路は、山形市方面と本荘市方面を結ぶ国道七号線(以下「本件道路」という。)であり、本件事故現場は、本件道路と秋田県立仁賀保高校に通じる町道(以下「交差道路」という。)が交差するT字路交差点である(以下「本件交差点」という。)。本件道路は、中央線の表示で区分され、片側一車線の、双方車線とも歩車道の区分のされた道路であつて、その幅員は一四・四メートルであり、本件道路の制限速度は法定の毎時六〇キロメートルである。一方、交差道路は、車線区分がなく、歩車道の区分もされておらず、その幅員は一一・一メートルである。

本件交差点の山形市寄りの手前には横断歩道が設置されており、本件道路を通行する車両を規制する信号機と本件道路を横断する歩行者用を規制する信号機が設置されている。歩行者用信号機は押しボタン式信号機であり、夜間は、横断者が押しボタンで作動させない限り赤色を表示しており、その間、本件道路の対面信号は青色を表示している。

本件事故現場の車両通行量は、事故直後の平成四年八月一二日午前零時三〇分から同日午前二時三〇分までの間の実況見分中の任意の五分間に本荘市方面から山形市方面に向かう車両が七台、反対方向に向かう車両が五台であり、本件事故当時の車両の通行量は少なかつたと推認できる。

本件道路は、本件事故現場付近では直線で、被告車の進行してきた側である山形側方面から本件交差点の見通しは極めて良好である。本件交差点付近には水銀灯が二基設置されているが、交差道路側の水銀灯は点灯していなかつた。

事故後の実況見分の際に、被告車の前部バンパーのナンバープレート左側付近に窪みが生じており、フロントガラスの運転席付近部分にクモの巣状のひびが入つていた。

(二) 訴外基の本件現場に至るまでの経過

訴外基は、本件前日の仕事が終了した後の平成四年八月一二日午後七時ころから、勤務先の三共建設株式会社(以下「三共建設」という。)の同僚と同社付近で飲酒した後、さらに同僚とJR象潟駅近くの居酒屋で飲酒した。その後、午後一〇時過ぎころ、訴外基は同僚と別れて一人でタクシーに乗車して帰宅したが、その途中、訴外基宅まで未だ相当距離の離れている(証拠上距離は確定できない)象潟小学校付近で下車した。その後の訴外基の行動は証拠上明確ではないが、本件事故時、訴外基は、サンダルは履いておらず、裸足であつたこと、象潟小学校のグランドに、訴外基のものと思われるサンダルが残されていたことに鑑みると、訴外基が、タクシーを下車後、象潟小学校のグランドに立ち寄つたことは認められる。さらに、訴外基が、訴外基方まで徒歩で三、四〇分を要する象潟シーサイドホテル前付近の国道七号線(本件道路)の山側の歩道上を、本件事故現場に向かつて歩行しているところを目撃されている。したがつて、象潟小学校グランドから象潟シーサイドホテル前付近まで歩いて帰るにはかなり距離が離れており(証拠上、距離は確定できない)、かつ、象潟シーサイドホテル前付近から本件事故現場までも、本件事故現場から訴外基方までも、いずれも、未だ、相当距離が離れているものの(いずれも証拠上距離は確定できない)、訴外基は、象潟小学校グランドから国道七号線(本件道路)の山側の歩道上を徒歩で本件事故現場に至つたものと認められる。また、本件事故後に測定された訴外基の血中アルコール濃度は、一ミリリツトルにつき一・八ミリグラムであり、相当程度酩酊していたと認められる。

2  被告長橋の供述

甲二の一ないし一八(実況見分調書)、乙四(陳述書)及び被告長橋本人尋問の結果によれば、被告長橋は、本件事故の状況について、

「石材を青森県深浦に搬送するため、被告車を運転して、本件現場に至つた。象潟を過ぎたころから被告車が先頭になつて、時速約七〇キロメートルで走行していた。

本件交差点にさしかかつたとき、対面信号は青だつた。本件道路が直線であり、夜で暗く、信号が際だつて見えたので、本件交差点の対面信号が青色であつたことは、間違いない。衝突地点の一五〇メートルほど手前から確認していた。

交差点の先方から車両が対向進行してくることに気がついた。対向車の速度は、被告車の速度よりは早かつたと思う。被告車が時速七〇キロメートルくらいだつたので、時速一〇〇キロメートルを超える速度だつたと思う。別紙図面の<1>の地点に来たとき、本件交差点の右斜め前の手前角の仁賀保高校方面からの交差道路のガードレールの角の先のアの地点に、対向車のライトで浮かび出された人と思われる動く影を認めた。被告車も対向車もそのまま進行し、被告車は対向車と本件交差点手前の横断歩道を過ぎた山形寄り付近ですれ違つた。対向車とすれ違い、<2>の地点に来たときに、約二四・三メートル先のイの地点に被告車のライトで訴外基が照らし出された。訴外基は、被告車の方には顔を向けず、西側の歩道に向かつて、うつむき加減に、小走りよりも早い速度で、被告車の前方を右から左に横切るように走り出てきた。危ないと思い、すぐに急ブレーキをかけたが、間に合わず、×の地点で被告車を訴外基に衝突させてしまつた。被告車の前部バンパーのナンバープレートの左側付近にへこみがあり、被告車のフロントガラスの運転席付近がクモの巣状にひびが入つていたので、その当たりに訴外基が衝突したと思う。イの地点に訴外基を発見するまで、訴外基には全く気がつかなかつた。衝突し、気が動転し、ブレーキを踏む力が弱まつてしまつた。時速七〇キロメートルを出していたので、もつと低い速度で進行していれば、訴外基を発見してからでも対応できたと思う。」と供述している。

また、甲二の一ないし一八の被告長橋立ち会いの実況見分調書によれば、対向車のライトで見えた人影の位置アと訴外基を発見した際の同人の位置イの距離は八・三メートル、アの地点に人影を見た際の被告車の位置<1>と訴外基を発見した際の被告車の位置<2>との距離は、三〇・五メートル、<2>とイの距離は二四・三メートル、衝突の際の被告車の位置は<3>で、<2>と<3>の距離は二四・〇メートル、衝突の際の訴外基の位置はウで、イとウの距離は六・六メートル、スリツプ痕は右が一六・五メートル、左が一七・四メートル、衝突地点と被告車が停止した地点の距離は六五・二メートル、衝突地点と訴外基が転倒していた地点との距離は、三一・二メートルである。そして、被告車の前部バンパーのナンバープレートの左側付近にへこみがあり、被告車のフロントガラスの運転席付近がクモの巣状にひびが入つていたことが認められる。

3  被告長橋供述の信用性

(一)(1) 被告長橋の右供述は、具体的で、かつ、客観的な事実関係とも矛盾せず、格別、不自然、不合理な点は認められない。しかも、その供述中には、自己に不利益な内容も含まれている。

被告長橋は、本件事故当時、制限速度を超過した時速約七〇キロメートルで走行していたと供述している。本件事故現場には、右側が約一六・五メートル、左側が約一七・四メートルの、被告車のものと認められるスリツプ痕二条が残されていたが(甲二の一及び四)、被告長橋は、訴外基と衝突後、そのシヨツクのため、ブレーキから足を離してしまつたと供述しているため、このスリツプ痕のみから被告車の制動開始時の速度を推認することはできない。右速度についての被告長橋の供述に不自然な点は認められず、制限速度を超過した七〇キロメートルくらいで走行していたとの長橋供述に反する証拠はないので、被告車の制動開始時の速度は時速約七〇キロメートルと認められる(被告車の制動開始時の速度が時速約七〇キロメートルである点については、当事者間でも争われていない)。ところで、被告長橋は、衝突後ブレーキを踏む力が弱まつたと供述しているので、その結果、スリツプ痕は、時速約七〇キロメートルという被告車の速度で本来遺留されるはずのスリツプ痕よりも短く遺留されており、被告長橋も、そのことを十分に認識していたと認められる。したがつて、右スリツプ痕から推測される被告車の速度は、実際の被告車の速度より低速であつたと誤信されやすいといえる。本件事故には目撃者がいないので、右のようなスリツプ痕の状況に鑑みると、被告長橋は、被告車の走行速度を時速約七〇キロメートルよりも低速で走行し、制限速度を遵守していたと虚偽供述をしようと思えばできる状況にあつた。にもかかわらず、被告長橋は、制限速度を超過して走行していたと、あえて自己に不利益な内容を供述しているのであり、このような供述状況は、被告長橋供述の信用性を高めるものである。

(二) 原告らが不自然、不合理と主張する点について

(1) 原告らは、被告長橋の供述を前提とすると、訴外基は、被告長橋が初めて発見した際の訴外基の位置であるア地点から衝突地点である×地点まで(イ地点からウ地点までの距離と同じ距離)を時速約一九・四キロメートルで走行していることになるが、時速約一九・四キロメートルという速度はマラソンの一流選手の速度であり、訴外基は、その様な高速では走れないので、被告長橋の供述は不合理であると主張する。

被告長橋の実況見分調書の指示説明によると(乙一の二)、被告長橋が訴外基を発見した<2>地点から衝突した<3>地点までは約二四メートルあり、被告長橋が<2>地点で初めて訴外基を発見した際の同人の位置であるイ地点から衝突地点である×地点まで(イ地点からウ地点までの距離と同じ距離)は約六・六メートルである。被告長橋は、制動開始時の速度を、七〇キロメートルくらいだつたと思うと供述しており、時速七〇キロメートルの秒速は一九・四四メートルであるので、右のとおりの被告長橋の指示説明に基づいた距離関係から見ると、被告車は<2>地点から<3>地点までを約一・二三秒で走行したことになる。その間、訴外基は、イ地点から×地点までの約六・六メートルを同秒で移動したことになるので、同人のその間の速度は、秒速約五・三六メートルであり、時速に換算すると約一九ないし二〇キロメートルとなる。そして被告車が、ブレーキをかけ、制動がかかり、スリツプ痕の端から相当程度進行した地点が衝突地点となつていること考えると、衝突時の被告車の速度は、制動開始時の速度よりも減速されていると考えられるので、訴外基の速度も、右の時速約一九ないし二〇キロメートルよりも低速と認められる。これらの点は、証拠上優に認められ、かつ、原告ら指摘のとおりであり、被告もこの点は争つていない。

ところで、原告は、右のとおり、時速約一九キロメートルで走行することは、マラソンの一流選手の速度であり、訴外基は、その様な高速では走れないので、被告長橋の供述は不合理であると主張する。

確かに、マラソンの全距離である四二・一九五キロメートルにわたり、これを約二時間で走破する速度である時速約二〇キロメートルに近い速度である時速約一九キロメートルで走り抜くことは、訴外基には不可能といえるであろう。しかしながら、本件において、被告長橋の供述から訴外基が時速約一九キロメートルで走行したと認められるのは、約六・六メートルと極めて短距離である。この程度の短距離であれば、訴外基が時速約一九キロメートルの速度で走ることは十分に可能である。

したがつて、被告長橋の供述では、訴外基が時速約一九キロメートルで走つたことになるので不合理であるとの原告の主張は、前提を誤認しており、採用できない。

(2) 次に原告らは、被告長橋の供述では、対向車の直前か直後を横断し、被告車の前に飛び出したことになり不自然である、また、本件交差点の訴外基が歩いてきた側である象潟側には、ガードレールがあり、金浦方面にある自宅に向かうのであれば、本件交差点手前の横断歩道上を横断するはずであり、被告車長橋が供述するような本件交差点の中央付近を横断するのは不自然であると主張する。

しかしながら、訴外基は、午後一〇時過ぎころという深夜に、帰宅のためタクシーに乗車しながら、自宅まで未だ相当距離の離れた象潟小学校付近で下車するという、いささか不可解な行動を取つている。また、象潟小学校のグランドに訴外基のサンダルが遺留されていたため、訴外基は、象潟小学校のグランドに立ち寄つたものと認められるが、この様な深夜に一人で小学校のグランドに立ち寄るのは、極めて不自然、不可解な行動である。原告らは、訴外基は運動が好きな人物であり、本件事故の翌日に野球の大会があつたので、そのウオーミングアツプのために象潟小学校のグランドに立ち寄つたと主張している。訴外基が象潟小学校のグランドに立ち寄つた理由を明らかにする証拠はないが、仮に、原告らの主張どおり、翌日の野球大会のウオーミングアツプのために、象潟小学校のグランドに立ち寄つたとしても、このような深夜に、しかも、飲酒後、タクシーを利用しての帰宅途中に、突然、わざわざ自宅からかなり遠距離に存在する小学校のグランドに立ち寄つてそのような行動に出ること自体が、極めて不自然、不可解な行動であると言える。しかも訴外基は、その後、自宅まで未だ相当距離の離れた地点でありながら、徒歩で帰宅している。訴外基は、本件事故当日、飲酒していたことが認められ、本件事故当時の血中アルコール濃度は、一ミリリツトルにつき一・八ミリグラムであつたのであり、訴外基は、本件事故当時、飲酒の影響で、相当程度酩酊していたと認められるのは前記認定のとおりである。一般に、飲酒の影響で酩酊していたため、普段とは異なつた不可解な行動に出ることは、しばしば見受けられるところであり、右のように、証拠上明確に認められる訴外基の本件事故当日の不可解な行動も、訴外基が飲酒の影響によるものと認められる。

このように、訴外基が本件当時、飲酒の影響で相当程度酩酊していたと認められることに鑑みると、被告長橋の供述から認められる訴外基の横断態様が、本件事故時の訴外基の行動として、考えられることのできない程度に不自然、不合理なものであるとは認められない。かえつて、本件交差点の横断者用信号機は押しボタン式信号であり、横断者が押しボタンを押さない限り、横断者用信号機は青色を表示しないこと、本件事故が発生した時刻は深夜であり、当時、車両の通行量が少なかつたと認められることに鑑みると、飲酒の影響等から、訴外基が、押しボタンを押して横断者用信号機の表示を青色に変えることなく、赤信号のままの状態で横断することも、十分にありうるところである。

したがつて、被告長橋の供述では、訴外基の横断の様子が不自然、不合理である、とは認められないので、この点についての原告らの主張も採用できない。

(3) また、原告らは、訴外基が横断歩道上で衝突していると仮定すると、被告車の衝突時の速度は時速約七七キロメートルとなり、被告長橋の供述する被告車の速度と合致するので、被告車は横断歩道上で訴外基と衝突していると主張している。

被告長橋本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、実況見分調書記載の被告車と訴外基の衝突地点は、ガラス片等の遺留物から確定したのではなく、もつぱら被告長橋の指示説明で定められたものと認められる。

ところで、原告らの主張する訴外基の跳ね飛ばされた距離から衝突時の速度を算出する数式の存在及び妥当性を裏付けるに足りる証拠はない上、右数式が適切なものであつたとしても、いかなる事実関係の際に、かかる数式を適用することができるかも明らかではない。しかしながら、仮に、右数式を使用しても、原告らが算定の基礎としている転倒所要時間と摩擦係数が異なるだけで、相当程度の転倒距離や衝突時の速度の相違が認められることは明らかである。また、右数式に、実況見分調書上の衝突地点を前提とし、その転倒距離である三一・二メートルを代入して計算すると、秒速は約一五・六メートルとなり、時速約五六キロメートルとなる。前記のとおり被告車の衝突時の速度は、制動開始時の速度である約七〇キロメートルよりも相当程度減速されていると考えられることや、転倒所要時間と摩擦係数の誤差を考えあわせると、時速約五六キロメートルとの速度も被告長橋の供述とは誤差の範囲内と認められ、矛盾するとは認められない。

したがつて、訴外基の跳ね飛ばされた距離から推認できる被告車の衝突時の速度も、被告長橋の供述と矛盾するものではなく、衝突地点の指示説明も不合理なものとは言えない。

(4) その他、原告らは、被告車の右前部ではなく左前部に衝突していることが不合理であるという。その趣旨は明確ではなく、このことが、なぜ不合理であることになるのか、いささか理解に苦しむところであるが、もとより、被告長橋の供述によつても、前記のとおり、訴外基は衝突地点まで十分に移動可能であるのであつて、不自然、不合理な点は全くない。さらに、原告らは、被告長橋が、衝突の際、気が動転しブレーキから離れたと供述していることが不自然であるというが、衝突の際のシヨツクでブレーキから足が離れるということは、しばしば見受けられることであり、自然、かつ、合理的でこそあれ、何ら不自然、不合理ではない。

(三) 結論

以上のとおり、被告長橋の事故態様に関する供述は、客観的事実に反しておらず、不自然、不合理な部分は認められず、その信用性は高いと認められ、他に、被告長橋の供述の信用性を覆すに足りる証拠はない。

二  被告らの責任

以上の次第で、本件事故は、被告長橋が被告車を運転して、時速約七〇キロメートルで、本件交差点の対面信号の青色表示に従つて本件交差点内に進入しようとしたところ、訴外基が、横断者用の信号機が赤色を表示しているにもかかわらず、本件交差点内を右方から左方に横断した結果、本件交差点内で被告車と訴外基が衝突して発生したものと認められる。

そして、被告長橋は、本件交差点手前で、右前方に、訴外基と思われる人影を発見したのであるが、本件道路が交通量の少ない道路であり、かつ、深夜であつたから、このような道路事情に鑑みると、横断者が信号を無視して横断してくることも十分に予測できる状況であつたから、単に信号機の表示に従つて進行するだけではなく、制限速度を遵守し、前方を注視して進行すべき注意義務があつたと認められる。にもかかわらず、被告長橋は、これを怠つて、毎時約七〇キロメートルの速度で進行し、本件事故を惹起したものであるから、被告長橋に制限速度遵守義務違反、前方不注視等の過失があつたことは明らかである。

したがつて、被告長橋は免責されず、かつ、被告興亜火災も責任を負うと認められる。

三  過失相殺

本件道路は見通しが良く、被告長橋が制限速度を遵守し、かつ、前方を注視していれば、被告長橋は、より手前の地点で本件道路を横断し始めた訴外基を発見することが可能であつたのであり、制限速度遵守、前方注視という運転者として基本的な義務を怠つた被告長橋の責任は重いと言わなければならない。しかしながら、右のとおり、本件事故は、訴外基が、横断者信号が赤色を表示しているにかかわらず、本件道路を横断したため発生したものである。本件事故が発生した時刻が深夜であり、当時、車両の通行量が少なかつたこと等の道路事情から考えて、歩行者が赤信号で本件道路を横断することも十分に考えられる状況であつたとはいえ、信号機の表示にしたがつて進行していた被告長橋に比すると、信号機の表示に反して横断していた訴外基の責任の方が重いと言わざるを得ない。そして、本件道路が幅員約一五ないし一六メートルの幹線道路であること、深夜で交通量は少なかつたこと、本件道路の制限速度は法定の六〇キロメートル毎時であり、被告長橋の制限速度を約一〇キロメートル超過した速度で走行していたこと等を考え合わせると、訴外基の過失割合は六割を下らないと認めるのが相当である。

第四損害額の算定

一  訴外基の損害

1  逸失利益 四二九四万三二三三円

(一) 原告らは、「訴外基は、本件事故当時、四〇歳で、関東学院大学工学部第一部建築学科を卒業し、二級建築士、一級建築施行管理技師の資格を取得していた。訴外基は、本件事故当時は、三共建設に勤務していたが、近い将来建築業を開業する計画をもつていたため、七二歳までの三二年間、平成四年賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者新大卒の四〇歳ないし四四歳の平均賃金である八一七万二三〇〇円の収入があつたと認めるべきである。また、義父母、義祖母等五人の扶養家族の一家の支柱であるから、生活費控除率は二五パーセントを上回らない。したがつて、訴外基の死亡にともなう逸失利益は、右の八一七万二三〇〇円に生活費を二五パーセント控除し、就労可能年数である三二年間の新ホフマン係数一八・八〇六を乗じた額である一億一五二六万六二〇五円である。」と主張する。

これに対し、被告らは、訴外基の収入は、最高でも平成五年賃金センサス第四巻第一表秋田県建設業男子労働者新大卒の四〇歳ないし四四歳の平均賃金である四八八万七八〇〇円を超えることはないと主張する。

(二)(1) 基礎収入について

甲七、八、一二、一三の一及び二、原告しも子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によれば、訴外基は、昭和五七年六月にUターンして村岡建設工事株式会社に勤務し、同社では、月額基礎額一二万六〇〇〇円の収入を得ていたこと、本件事故当時は三共建設に勤務していたが、三共建設では、平成三年二月から同年一二月までの間に三一四万九二九六円の収入を得ていたこと、平成四年は、一月から本件事故で死亡した八月までの間に合計二八三万四五〇九円の収入を得ているので、訴外基の本件事故当時である平成四年の収入見込みは、これを八で割り、一二を乗じた四二五万一七六三円と解すべきであること、訴外基は、将来的には三共建設を退社し、建築関係の自営をしたいと考え、その準備も始めていたことが認められる。

ところで、右の平成四年の見込み収入の四二五万一七六三円という額は、原告らの主張する平成四年賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者新大卒の四〇歳ないし四四歳の平均賃金である八一七万二三〇〇円と比すると約五二パーセントにしか達しない。しかも、訴外基のこれまでの収入が概ね年間三〇〇万円ないし四〇〇万円程度であることや、平成五年賃金センサス第四巻第一表秋田県建設業男子労働者新大卒の四〇歳ないし四四歳の平均賃金が四八八万七八〇〇円であることに比すると、訴外基が、近い将来、建設業の開業を計画していたことを考慮しても、原告らが主張するような、将来、七二歳に達するまでの間、毎年、平成四年賃金センサス第一巻第一表の産業計男子労働者新大卒の四〇歳ないし四四歳の平均賃金である八一七万二三〇〇円と同程度の収入を得られるとは認められない。訴外基が、建設業を開業することを計画していたため、訴外基の収入も、将来的には、本件事故時よりも若干は収入が増額すると考えるのが合理的であることを考慮をすると、毎年確実に得られると認められる収入の額は、被告らもその可能性を否定していない、平成五年賃金センサス第四巻第一表秋田県建設業男子労働者新大卒の四〇歳ないし四四歳の平均賃金である四八八万七八〇〇円を上回らないと認めるのが相当である。

(2) 生活費控除率について

甲一八、一九及び二二によれば、妻の原告しも子は保母で共稼ぎであること、源泉徴収票では、子供二名が訴外基の扶養家族になつており、原告しも子の両親が同居していたことが認められ、この様な訴外基の家族構成を考えても、訴外基は一家の支柱であり、その生活費控除率は四〇パーセントと認めるのが相当である。

(三) 以上の次第で、訴外基の逸失利益は、右の四八八万七八〇〇円に、生活費を四〇パーセント控除し、六七歳までの二七年間(原告らは、七二歳まで逸失利益を認めるべきであると主張するが、経験則上認められる六七歳までの稼働期間を超えて、訴外基が七二歳まで稼働可能であると認めるに足りる証拠はない。)のライプニツツ係数一四・六四三を乗じた額である金四二九四万三二三三円と認められる。

2  慰謝料 一八〇〇万円

証拠上認められる諸事情に鑑みると、本件における訴外基の慰謝料は一八〇〇万円が相当と認められる。

3  合計 六〇九四万三二三三円

4  相続

原告しも子は、二分の一、同善貴及び同美祐は各四分の一づつ、右損害賠償請求権を相続したので、原告しも子の損害額は三〇四七万一六一六円、同善貴及び同美祐の損害額は、それぞれ一五二三万五八〇八円となる。

二  原告らの損害

1  葬儀費用 一二〇万円

甲一五の一、一五の二の一ないし四二及び弁論の全趣旨によれば、原告しも子は、訴外基の葬儀費として四三五万九一八九円を支出したことが認められるが、本件と因果関係の認められる損害は一二〇万円と認めるのが相当である。

2  慰謝料 各二〇〇万円

証拠上認められる諸事情に鑑みると、本件における原告ら固有の慰謝料は、各二〇〇万円が相当と認められる。

三  損害額合計

以上によれば、原告しも子の損害額は三三六七万一六一六円、同善貴及び同美祐の損害額は、それぞれ一七二三万五八〇八円となる。

四  過失相殺

前記のとおりの本件では、少なくとも六割の過失相殺を認めるのが相当であるので、損害賠償額は、原告しも子は一三四六万八六四六円、同善貴及び同美祐は、それぞれ六八九万四三二三円となる。

五  損害てん補 三〇〇〇万一八〇〇円

原告らが、自動車損害賠償責任保険より三〇〇〇万一八〇〇円の支払いを受けたことは、当事者間に争いがないので、原告しも子は一五〇〇万〇九〇〇円、同善貴及び同美祐は、それぞれ七五〇万〇四五〇円の損害のてん補を受けたと認められる。

六  損害残額

以上によれば、本件における原告の損害は既に支払い済みとなつている。

第五結論

以上の次第で、原告らの本訴請求は、いずれも理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 堺充廣)

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